前口上
私はもともと理科系人間で、建築を勉強した技術屋です。昔から物の形についてのこだわりが強いみたいですが、建築を勉強したからそうなったのか、もともとそうだったから建築学科を選んだのかはよくわかりません。
40歳のころ、たまたま白川先生の「漢字」(岩波新書)を読み、今の漢字がどうしてこんな形をしているか、これこれの部品が集まってどうしてこんな意味の漢字になるのか、次から次へと驚かされることばかりで、すっかり漢字の世界にはまってしまいました。
以後、漢字についても、設計図を読み解くように、形をもとに分析することが面白くて、勉強を続けています。
そんな中で、白川さんの説に「ほんまかいな」と思うものがでてきたり、他の人の説でもっともらしいものを知ったりすると、「偉い学者さんでも全然違うことを言ってるんだなあ」と気がつき、「それなら僕も」と、身の程もわきまえず、「漢字の謎解き合戦」に参加しようと思うようになりました。この「ひろりんの書斎」も、そんな思いでしたためた論考を中心に構成しています。
小学校で習う、簡単な漢字でも、学者によって字源の解釈が違うものはたくさんあります。以下にそんな字を選んでご説明しますが、みなさん、ご自分ではどの説が正しいと思われますか? ぜひ、考えてください。なお、各項目の最後にある「ひろりん曰」は、「私はこう思う」という筆者の見解ですが、率直に(ある意味無責任に)思うことを書いているだけですので、間違っていた場合はごめんなさい。
さすがに「山」や「川」では論争はないようですが、「木」について、早速見解が分かれています。
(以下、原則として、学者の説の引用は楷書体、
筆者の考えや説明はメイリオまたはOsaka〈この文章の書体〉で表記します)
木(小学1年)
「木」の下部の払い(八)は、下方に向いた枝か、根か。
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「木」甲骨文 |
「木」小篆 |
許愼:从
下象其根(「説文解字」、以下同)
藤堂明保:立ち木の形(「漢字原」、以下同)
白川静:左右に傍出するものは、
みな枝とみてよい。(「字統」、以下同)
落合淳思:上部が枝であり、
下部が根を表している。(「甲骨文字小字典」、以下同)
杉村博文:「木」には必ず上にあがる枝と
下にさがる根がある。(ウェブサイト)
上記の5人のうち、白川だけが「枝」と見ている。(藤堂は不明)
他の字からの推測
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「本」金文 |
「本」小篆 |
許愼は「草木之根柢」(康煕字典引用版)としており、
木の字解と整合している。
白川は「本」は木の根もととする。
これも「木」の解釈からして当然の帰結である。
「本」についての詳細は、拙稿「本という字の謎」参照。
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「禾」甲骨文 |
禾(稲その他の穀物)には下向きの枝はなく、「禾」の甲骨文の下部は根と解釈するしかない。
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「朱」甲骨文 |
許愼「株」:木根也。
「朱」が「株」の初文(その意味の漢字が作られた当時の字体)だとすれば、指事記号のある幹のあたりから下が株で、下部は根であることになる。
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「束」甲骨文2種(他にも種々の字体あり) |
許愼「束」:「縛也、从口木」、康煕字典「徐曰束薪也」、白川「束薪の形」
左側の甲骨文は木という字形全体を束ねている。となると下部の払いも含めて薪にするようで、枝説に有利な材料かと思われるが、右側の字を見ると、下部を除いて束ねているようであり、根説を裏付ける根拠となる。
ひろりん曰:他の字を傍証とすると、下部は根であると考えるのが妥当だと思われる。しかし、樹木を見てそれを表す象形文字を考える際に、根のことまで考えるものかという素朴な疑問は残る。
牛(小学2年)
「牛」は、上から牛の全体を見たものか、顔の部分だけを正面から見たものか。
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「牛」甲骨文 |
「牛」小篆 |
許愼:像角頭三封尾之形也
白川解説:封(ほう)は牛に特徴的な腰骨墳起の状をいうものであろう。卜文はその部分をV形に書き…
段玉裁:封者、肩甲墳起之処(「説文解字注」、以下同)
藤堂:牛の頭部。
白川:牛を正面から見た形。
落合:牛の頭部…左右の上に突き出た部分が角であり、下部にある短い斜線が目か耳であろう。…前後の脚にあたる部分が見えないので、頭部だけの象形である。
許慎は小篆を見て牛の全体を上部から見た形とする。上の3つの突起は角と頭、左右のでっぱりが封、下に延びるのが尾である。
日本の3人はいずれも、牛の頭部を前から見た形とする。
他の字からの推測
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「羊」甲骨文 |
「羊」小篆 |
「羊」の甲骨文は、前から見た羊の顔面によく似ている。
段玉裁は甲骨文を見ておらず、小篆の字から判断して、中央以下の2本の横画を4本の足とみなしているようだ(「羊・豕・馬・象、皆像其四足」:「説文解字注」「牛」の項)。
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「羊」金文 |
ちなみに、羊の金文には左図のような形のものがある。下部の逆三角形は、鼻先を象ったものと思われるが、これがのちにもう1本の横画に変化したようだ。
ひろりん曰:羊の例を見ると、牛も顔の形を象ったものと思われる。
刃
「刀」の中で刃はどの部分か。
小篆では指事の位置が明確であるが、甲骨文(1例のみ)でははっきりしない(金文はない)。
許愼:刀鋻也。象刀有刃之形(段注本)。
藤堂:刀のはのある所を
印でさし示したもの。
白川:「刀の刃部に光のあることを示す形」(字統・「刃」の項)。「上部に握環の形を残すものがある」(字統・刀の項)
上記の3人は、小篆で指事記号がある部分を刃とすることに疑問を持っていないようだ。
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「刃」甲骨文? |
「分」甲骨文 |
落合:「刃」(上図左)では、刃の部分を示す指事記号が上部についている。したがって、上部が刃、下部が柄であり、下部の横に出ている線は鍔のようなものであろう。
落合:「分」 指事文字。刀の刃の部分に切断されたものを示す記号の八を加え、切り分けることを表している。
左の図は「甲骨文編」の未整理部分にあり、「漢字古今字資料庫」では「亡」字として分類されている(漢字教育士 丹羽孝氏のご教示による)。白川の言う「握環」が、この円形部分のことかどうかは不明。
ひろりん曰:落合氏の「分」での説明は説得力あるが、丸い形は指事記号に見えない。そもそも刀の甲骨文がなぜあんな形をしているかが不審。結論不明。
羽(小学2年)
「羽」は、羽毛(フェザー)を意味するのか、つばさ(ウィング)なのか。
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「羽」金文 |
許愼:鳥長毛也。象形。
大漢和辞典:羽 鳥のはね。鳥翅の長毛。又、つばさ。〔解字〕鳥の長毛(つばさ)に象る。
藤堂:二枚のはねを並べたもので、鳥のからだにおおいかぶさるはね。
白川:鳥の羽を二枚並べた形。…羽は両翅の形である。…羽を飾りに用いることが多いのは…
落合:鳥の
羽毛を象形文字にしたもの。鳥の翼とする説もあるが、後述のように雪の形容としても使われているので、羽毛と考えた方がよい。
日本語の「はね」も両方の意味で使われ、大漢和辞典によると「羽」という漢字にも両様の意味がある。藤堂の説明もどちらのことか分からず、白川も両者を混同しているようである。
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「羽」甲骨文 |
「漢字古今字資料庫」で「羽」の甲骨文を検索すると、この字が出る。白川・落合はともにこの字を「翌」の甲骨文とし、意味は「明日」であったとする。
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「雪」甲骨文 |
落合は、「下部は羽であり、羽毛状のものを表している」とする。
しかし、羽毛を表すには2本並べる必要はないが、現代に伝わる字は、「習」「曜」など、いつもペアで構成されている。この理由について、段玉裁は「長毛必有
。故竝
。」(長毛には必ず、対になる相手がある。だから
を並べる)と述べている
が、羽毛だとすると、「対」というより「多数」というべきであろう。多数であることを示すために二つ並べたのかもしれないが、それなら3つ並べる方が事例が多い。
「この字が翼であるとするなら、左右対称の字になるはずだ」と、「関西漢字教育サポーターの会」の例会での発表の際に述べたところ、会員の奥田玲子氏から、「大きな鳥が飛んでいるところを斜めから見ると、翼が平行に見える場合もある」と、白板に絵を描いてご指摘をいただいた(挿絵は別の図)。なるほどそういえばそのとおりである。左右対称ではないから翼ではないとも言い切れないようだ。
ひろりん曰:落合氏の「雪」での説明は説得力あるが、習・曜などいつもペアで使われることからして、翼である可能性も捨てられない。
【2020.7.追記】
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甲骨文 |
(テキ)という字に注目してみる。羽+隹の会意文字で、多くの字に部品として使われている字である。字統をみると、そのうち躍と濯の字の項には、「は鳥が羽を揚げて飛び立とうとする形」などとあり、この場合は羽は翼を意味する。一方、の項には、「羽の美しい鳥で、雉(きじ)をいう」とあり、舞楽の際にキジの尾羽を持って舞う様子を「詩経」から引いている。しかし甲骨文では、尾ではなく頭部に羽が書かれている。どちらにしても、こちらはfeatherの方ということになる。
結局、中国でもかなり古くから混同されているようで、文字が作られたときにどちらの意味を表そうとしたのか、今では謎というしかないが、以下のとおり想像することはできる。
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クジャクの冠羽 |
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「翼」金文 |
羽字については、落合説のとおり、当初は羽毛を表すために作られた。の甲骨文は、冠状の飾り羽が美しい鳥、例えばクジャクをモデルに作られた。しかし、クジャクは希少なためか、舞楽のためにはキジの尾羽が代用された。やがての字もクジャクではなくキジを意味するものと認識された。キジの尾羽も美しいので、躍・濯・耀などの字を作る際にが用いられた。
一方、「つばさ」というものは人の生活にあまり関係がなかったため、甲骨文は作られなかった。翼の金文を見ると、上部の羽の部分が左右対称になっていて、いかにも翼らしい。これが小篆では羽毛の字と同じになってしまったので、ますます真相が分からなくなったのではないか。
この甲骨文は「争」か「牽」か
甲骨文編などでは上記甲骨文を「争」と釈している。「牽」「争」の金文はないとされる。
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白川「牽」:牛角を執って牽きまわす形。
白川はこの字を「牽」と釈している。牛の角を手で牽いている形とするが、牛にしては形がゆがんでいるものもある。白川は、他の学者が牽とは読まないことを紹介した上で、「いつの日か、私の説に統一されるであろうと考えております」と言う(「文字講話Ⅱ」)
。
落合「争」:二つの手で物を争奪している形。「U」は抽象的な物体。
甲骨文では貞人(占いを担当する神官)の名として頻出するが、それ以外の用例はなく、意味からは探れない。金文には争または牽と釈される字はない。
小篆の「争」。上と下の手で棒のようなものを奪い合っている様子とされる。上記甲骨文が「争」だとすると、この「棒」が「U」に置き換わっているわけだが、甲骨文で31例あるもの(「漢字古今字資料庫」で「爭」と釈されているもの)が全て「U」に従っているのを見ると、単に「抽象的物体」と言われても納得できないものがある。
ひろりん曰:「争」説は、抽象的物体がなぜU字型で表されているかの説明がない。「牽」説は、牛の部分がゆがんでいるのが難点。「牛の顔」だとするとなおさらゆがむはずはない。ひょっとすると両者ともハズレかもしれない。固有名詞にしか使われていないので、今に伝わる字かどうかも不明であり、分からなくて当然か。
「止」金文
これは右足か左足か
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「止」甲骨文 |
「發(発)」小篆 |
上記の甲骨文は、右側に大きく張り出した親指の様子から見て、左足を描いたものであることに異論はないだろう。これと見比べると、表題の金文も左足であると思われる。
ところが、これが左足だとすると、「發」の小篆の「はつがしら」の部分で、左足が右に、右足が左に位置することになってしまう。
白川は、「(はつがしらは)左右の足をそろえた形で、出発するときの姿勢。」(「発」字の項)
というが、左右が逆だと足を揃えられない。
(足の形は、足の甲から見た場合と裏から見た場合で左右が替わる、との指摘もあるが、どちらにしろ両足の親指が内側に来ないと揃えられない。この項では、甲から見た形、あるいは足跡の形として左右を定義する。)
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「登」甲骨文2種 |
「發」の甲骨文は少ないので、「登」を調べてみる。「漢字古今字資料庫」にある甲骨文11例のうち、1例(左図右側)を除き、他は全て左側に左足が位置している。ところが金文になると、發小篆とおなじく左右が入れ替わるものが多くなる(金文19例中、足の形がないもの6、左右逆のもの9、両方左足3、判別不能1)。
可能性としては、次のどちらかである。
1.表題の「止」金文は、実は右足である。
2.もともとは、「登」甲骨文左側のように正しく並べられていたが、その後左右が入れ替わってしまった。
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「登」金文の一例 |
「止」甲骨文の一例 |
冒頭に掲げた「止」甲骨文と金文の中間の形を持つ「登」の金文も存在し、また金文に近い「止」の甲骨文も左足と見られるので、1.の説は取り難い。
ひろりん曰:「登」甲骨文に、1例だけだが左右逆転しているものがあるので、既にこの頃、左右の別を気にしなくなっていたのだろう。のちに金文から小篆への変化の中で、「かしら」として形よく収めるために、逆転のものが主流になったものと思われる。
参考・引用資料
説文解字 後漢・許慎撰、100年:下記「説文解字注」より
説文解字注 清・段玉裁注、1815年:影印本第4次印刷 浙江古籍出版社 2010年
改訂新版 漢字源 藤堂明保ほか編、学習研究社 1994年
新訂字統 普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年
甲骨文字小字典 初版第1刷 落合淳思著、筑摩選書 2011年
漢字古今字資料庫(台湾・中央研究院ウェブサイト)
古代文字字典-甲骨・金文編― 第7刷 城南山人編、マール社 2009年
康煕字典(内府本) 清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年
大漢和辞典 修訂版 諸橋轍次著、大修館書店 1986年
文字講話Ⅱ 初版第1刷 白川静著、平凡社2016年
画像引用元(特記なきもの)
甲骨文、金文、小篆 漢字古今字資料庫(台湾・中央研究院ウェブサイト)
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